はじめに―。
私が“絵本の読み聞かせ”の活動に参加することが出来たのは、まったく偶然に過ぎません。一度もこんな活動があることも知りませんし、それが20年前からこつこつと続けている団体もあったのだということも、歩みはじめて知ったことです。
何の知識もなく、何の能力もない私が代表になったということも自分自身が驚いているのです。
きっかけは―。
平成13年に北区ニュースに滝野川文化センター主催で「子どもの本と読み聞かせ講座」の募集がありました。平成10年に「くも膜下出血」の手術を受け、失語症となり、話すことのリハビリにいいし、子どもたちの育児中に様々な本を読んできたこともあり、少し勉強してみようかなと思いました。
若いころの懐かしさだけで応募し、受講者の一人になったのです。
その講義は―。
驚きました。この講座の講師の方々は全国的に有名で、なかには北区の活動の基礎を作った方もいるのです。“おはなし会” “読み聞かせ”の運動とは何十年も地道に続き、多くの子どもたちはその中で育って来、その子どもたちが再び次代に引き継ごうという運動であるという歴史を学びました。北区教育委員会が7年ぶりにこの講座を開いたことは来年から公立学校のすべてが土・日の休日をむかえ、その子どもたちにボランティアとして本を多く伝えたいという考えであるということだったのです。
講座の後は―。
一つには子どもたちは『本ばなれ』が目立つこと。
テレビやゲーム等の映像の直接的なメカに目が向いている現実。
ふたつには親が育児の中で日本の文化としての「おはなし」や「本を読む」ことをあまりしていないという現実です。
おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さんが自分の声でいつも楽しい“おはなし”や“本を読む”家庭が数える程度にしかないという現実。“学ぶ”ことは学校で―という親がいるのではないか。そんなことを考えました。
受講後―。
有志によって教育委員会の後おしで「読み聞かせの会・たんぽぽ」が誕生したのです。二年前のことです。
“読み聞かせ”とは
松居直さんのことばから引用します。
「子どもに絵本を読んでやる大切な意味は読み手と聞き手とが“共に居る”ということです。お母さん、お父さんといっしょにいることこそ、子どもが心から喜んでいることで、その夢がかなえられた時と場が、親に絵本を読んでもらうことです。お母さんのそばに居て、あるいはお父さんの膝に座って、顔を寄せ合いながらその人の声で物語が語られ、一緒に居るときこそこどもにとっては何ものにも変えられぬ至福のときです。この体験はいつまでも子どもの心に残り続けます。一生忘れることはありません。これほど心強い人間の絆はないでしょう。親と子は言葉を共有し、歓びをわかちあい、互いに受け入れます。この経験は子どもに生きる力を与え、読む親にも生きがい感と歓びを味わわせてくれます。楽しい思いをしているのは読み手その人かもしれません。」
読み聞かせの真の意味はこの松居さんの文章に表せていると思います。私たちが親と一緒の体験したことがあれば、子どもに真っ先にその至福の思いを味わわせたくて同じ絵本を語り継ぐといわれます。
「子どものときに読んでもらって楽しかったから」という理由です。始めに感じた歓びがまた私の心の中に残っていたときを思い起こすことが出来たのです。
今の“たんぽぽ”は
滝二小で去年から月2回全クラスで「読み聞かせ」を母親のボランティアで始まりました。桐ヶ丘郷小は毎月2回土曜日の午前中「北区子どもの本に関する連絡会」(六団体)が“おはなし”
“読み聞かせ” “手遊び” “紙芝居”など子どもたちに伝えています。
赤羽センター図書館、中央センター図書館で「読み聞かせ」を行い、たくさんの良書を紹介し、伝える運動をしています。読む本の中に入り、輝く子どもの目を見るとき、メンバーはますますこの活動をして行こうという意欲に燃えています。
これから―。
伝える良書の選別もありますが、日本の文化の基本となる昔話を多く読んでいきたいと思います。
本をとおして世界を知るために世界の良書を取り入れています。
メンバーの勉強会でたった5〜6分の本なのに、その内容の奥深さを感じ取り、私たちもその本の背景を学びたいと口承文化の歴史を勉強しています。
何よりも私たちは子どもの両親として血のかよった父母となるよう話し合っています。
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